水溜り日記

日々の記録を。

確認、報告、気配りですよ、

思えばどこか抜けているところがある。子供の時からそうだった。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、24歳となった今も変わらない。

2年くらい前に母親が脳卒中で倒れた。幸い命に別状はないそうでその週の休日に見舞いに行った。兄と弟は既に見舞いを済ませていた。 病床の母親に「そのDVDプレイヤー買ったの?」と聞くと弟が入院中は暇だろうと中古で買ってきてくれたらしい。さらにベットの下の真新しい運動靴はリハビリに必要だろうと兄が買ってくれたとのこと。自分はというと何も買っていなかった…。

この時にも自分の気の利かなさを痛感した訳だが、働き始めるとこの性質が余計、足を引っ張る。

番組の打ち上げでは、多くの先輩がいる中で真っ先に自分が刺身盛りに手をつけ、怒られる。焼肉の番をさせれば焼き方の手際が悪いと小言をいわれる。

「お前、一人っ子やな?」

「いいえ、良く気の利く兄と弟がいるんです」

 

 

うなぎ

昨日と今日は松山出張だった。

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仕事は無事に終えられたのだが、帰りの飛行機の保安検査に引っかかってしまった。原因はベルトのバックルだった。いつもは引っかからないんだけどなあと思いながら、女性保安官から入念に金属探知機を当てられた。頭のてっぺんから足のつま先まで丁寧に金属探知機を当てられると「この野郎、俺がテロリストなわけがないだろう」と怒りが込み上げてきた。もし自分がテロリストなら、道後温泉近くにある鰻屋の一つ3000円こうなぎ弁当を我慢することはなかった。要は鰻を食べなかったことにイライラしてたんだ。

ずいぶん古くなったなあ

ちょっと前の話になるが「耳をすませば」が地上波で放送されていた。

途中からの参戦だが結局、最後まで見てしまった。

中学生特有の瑞々しい感性が見事に表現された作品だと思う。その一端を担っているのが坂道の多さである。本当のところは分からないが恐らく、主人公の雫が住んでいるところはニュータウンで、昔は山だったんじゃないだろうか。だから作中での町の歩きのシーンは坂道が多い。この坂道があることで作品に臨場感が生まれる。雫が猫を見つけ、追いかけるシーンの臨場感は坂道を登ったり下ったりするから出るのだと思う。

作品の終盤、誠司が後ろに雫を乗せ、自転車で坂道を登るシーンは名場面である。二人で平らな道を歩きながら誠司が雫への想いを涼しく伝えるよりも坂道を一生懸命漕いでいるシーンの方がより想いが伝わる。

こっちも思わず見入ってしまう。

青春には坂ですね。

あれま

去年76冊の本を読んだことは以前書いた。ひと月に大体6冊読んだ計算になる。実はここ3ヶ月は3、4冊くらいしか読めていない。単純に仕事が忙しいから。今月も読書量は低調。

わたくしの唯一の趣味が読書であり、どんなに忙しくても本が読めればご機嫌を保てる。

ということで、だんだん本が読めないイライラが募ってきた。

そんな中、本日、梅田紀伊国屋に行った。

何千冊もの本に囲まれ、「この野郎、やるきか?」とついカッとなってしまった。

結果、このレシートである。

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今は反省している

 

名前のないものに名前を

これから書く内容はあまり詳しくない事柄だから話半分で聞いて欲しい。

言語学的に言えば人間は「言語世界」の中で生きている…らしい。「言語世界」を包含するのが「物質世界」。例えば、窒素が発見される前は人間の世界には窒素はなかった。でも当然「物質世界」には昔から窒素はあったわけ。

人間は認識できるもの、言い換えると名前のあるものの中で生きていることになる。操れる言葉が増えるほど人生も少しは凌ぎやすくなるはず。当然、窒素を知っている世界の方が何かと便利になる。

だからこそ、言語世界をもっと豊かにしていかないといけない。間違っても「グッドorバッド」なんて簡単な言葉の世界だけで生きてはいけない。SNSの仕組みがそうさせるんだろうなあ。だからネットニュースはどんどん単調で中身のないものになる。炎上する芸能人の主張もそこに書き込む人たちの論調もとても単調でつまらない。良いか悪いかそれだけではないはず。人間の思考はもっと豊かでいいはず。少なくともそこを目指していくべきですよな。

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