確認、報告、気配りですよ、
思えばどこか抜けているところがある。子供の時からそうだった。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、24歳となった今も変わらない。
2年くらい前に母親が脳卒中で倒れた。幸い命に別状はないそうでその週の休日に見舞いに行った。兄と弟は既に見舞いを済ませていた。 病床の母親に「そのDVDプレイヤー買ったの?」と聞くと弟が入院中は暇だろうと中古で買ってきてくれたらしい。さらにベットの下の真新しい運動靴はリハビリに必要だろうと兄が買ってくれたとのこと。自分はというと何も買っていなかった…。
この時にも自分の気の利かなさを痛感した訳だが、働き始めるとこの性質が余計、足を引っ張る。
番組の打ち上げでは、多くの先輩がいる中で真っ先に自分が刺身盛りに手をつけ、怒られる。焼肉の番をさせれば焼き方の手際が悪いと小言をいわれる。
「お前、一人っ子やな?」
「いいえ、良く気の利く兄と弟がいるんです」
長い
新潟へ出張だ。大阪からだといくつかルートがあるが、金沢経由だと片道4時間はかかる。さすがに長いな。
ずいぶん古くなったなあ
ちょっと前の話になるが「耳をすませば」が地上波で放送されていた。
途中からの参戦だが結局、最後まで見てしまった。
中学生特有の瑞々しい感性が見事に表現された作品だと思う。その一端を担っているのが坂道の多さである。本当のところは分からないが恐らく、主人公の雫が住んでいるところはニュータウンで、昔は山だったんじゃないだろうか。だから作中での町の歩きのシーンは坂道が多い。この坂道があることで作品に臨場感が生まれる。雫が猫を見つけ、追いかけるシーンの臨場感は坂道を登ったり下ったりするから出るのだと思う。
作品の終盤、誠司が後ろに雫を乗せ、自転車で坂道を登るシーンは名場面である。二人で平らな道を歩きながら誠司が雫への想いを涼しく伝えるよりも坂道を一生懸命漕いでいるシーンの方がより想いが伝わる。
こっちも思わず見入ってしまう。
青春には坂ですね。
東京
今月は3回東京に行く。
しかもどれも日帰り。
今日は2回目の東京。
とりあえず弁当を購入して頑張りますかい。これがやっぱり食べやすくてうまい。
名前のないものに名前を
これから書く内容はあまり詳しくない事柄だから話半分で聞いて欲しい。
言語学的に言えば人間は「言語世界」の中で生きている…らしい。「言語世界」を包含するのが「物質世界」。例えば、窒素が発見される前は人間の世界には窒素はなかった。でも当然「物質世界」には昔から窒素はあったわけ。
人間は認識できるもの、言い換えると名前のあるものの中で生きていることになる。操れる言葉が増えるほど人生も少しは凌ぎやすくなるはず。当然、窒素を知っている世界の方が何かと便利になる。
だからこそ、言語世界をもっと豊かにしていかないといけない。間違っても「グッドorバッド」なんて簡単な言葉の世界だけで生きてはいけない。SNSの仕組みがそうさせるんだろうなあ。だからネットニュースはどんどん単調で中身のないものになる。炎上する芸能人の主張もそこに書き込む人たちの論調もとても単調でつまらない。良いか悪いかそれだけではないはず。人間の思考はもっと豊かでいいはず。少なくともそこを目指していくべきですよな。