水溜り日記

日々の記録を。

帰郷

昼過ぎ鳥取に帰郷。

年末なのに駅は閑散としていた。コロナだからではない元々、人が少ないのだ。この街も変わらねえなあ、とやさぐれ気味にハンバーグ師匠のフレーズを呟いてみる。なんだか母親のハンバーグが食べたくなってきた。最後に食べたのはいつだろう。

迎えに来た母親に荷物だけを託し、友人と合流する旨を伝えた。母は不服そうな顔をしていた。どうした?付け合わせのミックスベジタブルを見るような目で見てきやがって。忘れちまったか?これがあなたの息子ですよ。

マンガ記録

チェンソーマン」

面白い。単純に善悪を対立させないところに引き込まれる。その分、少し読みにくいので何回か読んで楽しんでいる。

「ブルーピリオド」

男子高校生が東京藝大を目指すところから始まる。絵が上手くなる過程がほど良く専門的で面白い。絵画に詳しくなった気になれるマンガ。

「君は放課後インソムニア

不眠症の男女が出会う物語。舞台の石川県のロケーションが最高。27歳の自分でもキュンキュンできる仕掛けが盛りだくさん。

 

プレゼントあれこれ

故郷にいる兄夫婦が新居を建てている。完成は8月なのでもうほとんどできているという連絡を今日、母からもらった。「新築祝いを送った方がいいのかしら」と母に聞いたら「もちろん、なんでもいいから送りなさい」と返された。

なんでもいいと言ってもねえ。これがなかなか難しい。ちょっと良い日本酒はどうだろうか。いや、兄はお酒好きだがお義姉さんはそんなに好きではなかった気がする。じゃあペアのグラスはどうか。もし貰い物を壊してしまったらその罪悪感は何とも言えない後味の悪さが残るものだ。半日間は心の中で贈り主に対して謝罪し、壊してしまったものに対して供養の心を持たなければならない。僕のあげたものでそんな気持ちにさせるのは申し訳なさ過ぎる。壊れないものがいいな。ハンカチはどうだろう。もちろんペアの。「今ハンカチを頂きました。ハンカチなんていくらあってもええんやから」「ところでこないだうちのオカンがな…」よし、心の中のミルクボーイには好評だぞ。でもハンカチなんてありきたりか。そう言えばこの間のIPPONグランプリ駒場さん面白かったなあ。話がミルクボーイに行ってしまった…。

時を戻そう。贈り物は気配りとナイスなセンスが要求されるんだなとつくづく実感する。ダサいものを送ってしまったら申し訳ない。「ダサくたって心がこもっていたらいいじゃないか」とぺこぱの松陰寺くんならそう言ってくれるのだろうか。

とりあえず、もう少し時間があるし後回しにしよう。

命題

「若者に贈る美しい生物学講義」を読んだ。内容は雑学的内容ではなく、膜の構造、代謝、発生など学術的な知識を元に生物の歴史、多様性などについて書かれている。発生、ATPなど生物で習った記憶がうっすら蘇ってきた。

思えば、高校の時の勉強は怠けてばかりだった。生物の授業で居眠りをしていたら先生に怒られて、隣に座っていたO君に冷やかされたこともあった。何故あんなにやる気が出なかったのだろうか。自宅で勉強しようと思ってもこの番組を見たらやろう、机を整理したらやろうなど先送りにして結局、やらなかった。挙げ句の果てには、今日は雨が降っているからやめておこうと訳のわからない言い訳を思いついたこともあった。俺の「やる気スイッチ」、どこについてたんだろう?

 

 

大阪雑感

大阪に住みはじめて6年がたった。

住みはじめて2、3か月のころ、パンクを自転車屋に直してもらったら「はい、500万円ね」と言われてもじもじするしかなった。こんなところでやっていけるのだろうかと心配になった。

そうかと思えば電車の中で妊婦に席を譲ったおっちゃんが「ありがとうございます」とお礼を言う妊婦に「100円やで」と粋なことを言っている場面を目にした。

夏休みに看板持ちのバイトをしたことがある。どこそこで好評分譲中と書いてあるプラカードをベットタウンの歩道でひたすら持ち続けるというバイトだ。パイプイスに座って朝から夕方までプラカードを持っていればいいだけだが、真夏の日本でこれはなかなか辛い。炎天下の中、帽子も被らずだらだら汗を流している自分を心配して、「にいちゃん、暑いやろ」と言ってタオルと帽子をくれたおばあさんが現れた。もちろん、知らない人。もらった帽子はグレーの丸いつばの帽子だった。いかにもおばあさんが被るような帽子で裏側は少し黄ばんでいた。それでも嬉しくてすぐ友達に報告した。

バラエティー番組ではアクの強い面ばかりが強調されるけどそんな人たちばかりではない。まだまだ住んでいけそうだ。

 

 

タピる

関西の緊急事態宣言が解除になったので同期と2人で梅田に出かけた。諸々、用事を済ませた後にゴンチャでウーロンティーのタピオカを飲んだ。実は初タピオカだった。ブームがちょうど去年の今ぐらいからだった。タピオカのために行列している同世代のカップルを見ては腹わたが煮えくりかえる思いだった。これは完璧に僻み。

で、今回初めて飲んだが、そんなに美味しくなかった。「これならマックのバニラシェイクの方が100倍美味いぜ。これにこんなに並ぶならバニラシェイクはもっと評価されてもいいんじゃないか」と意味不明なバニラシェイク論を展開してみた。普段飲み慣れていないせいかウーロンティーを飲み干したのにタピオカだけ大量に余ってしまった。それを掃除機みたいにすぽすぽ吸っていたら勢いよく喉に入ってむせ返った。

なんだかバニラシェイクが飲みたくなった。

そんな日曜だった。

承認

「生き延びるためのラカン」が面白かったので、引き続いて斉藤環さんの「承認をめぐる病」を読んだ。

著者は学校空間において「キャラ」が重要と説く。キャラとは例えば「いじられキャラ」、「天然キャラ」、「オタクキャラ」などである。そのキャラの母体は何かというと「スクールカースト」と「コミュニケーション格差」である。カーストを決定づける要素は容姿や運動能力もだが、一番はコミュニケーション能力。ここで言うコミュニケーション能力とは相手を尊重した成熟したコミュニケーション能力を指すのではないらしい。実際、スクールカーストの最上位に位置する子どもは「ボケキャラ」か「ツッコミキャラ」だそうだ。どちらかと言うと自己完結した表現ということなのだろうか。いずれにしろ、このカースト制度にいじめへの萌芽があるとする。本人がどんなに「いじられキャラ」が嫌でも教室内で居場所を得るにはその承認されているキャラに甘んじるしかないそうだ。

僕の高校時代にもこの理論は当てはまる部分が多いから全く的外れでは無いと思う。それにしてもこれが本当なら学校空間というのはかなり弱肉強食な世界だな。個人的にはそのスクールカーストが生まれる社会的な原因やいつからそんな状況になってきたのかが気になるところだ。

のぶた。をプロデュース」が再放送されているが、あれが放送されていたのが2005年だそうだ。このドラマも一軍の生徒が三軍の生徒を一軍キャラにプロデュースしていくという理解でいいと思う。主人公の桐谷修二はいかにしていじめられっ子ののぶたに「キャラづけ」していくかを腐心する。

という事は、少なくともSNSの普及が主な原因ではないのか。でもこのくらいの世代の子もケータイでmixiとかホームページ持ってたんじゃないか。うーん、いつからなんだろうか。