水溜り日記

日々の記録を。

対象a(たいしょうあー)と読むのがツウ

斉藤環 著「生き延びるためのラカン」を読んだ。ジャック・ラカンはフランスで一番有名な精神分析家ではあるが、その著作、講義はあまりにも難解を極める。だからこそ分かる人にはものすごいインパクトを与え、ラカン信者と呼ばれる人もいる。本著作はそんなラカンの「日本一分かりやすい入門書」を目指して書かれている。

面白いと思ったのはLecture7の「去勢とコンプレックス」。人間は5歳くらいのときに性同一性(男性でいえば自分は男だということ)を確認する。男の子の場合、まず、人は誰でもペニスがついているものだと思っている。それがある日、女の子にはペニスがついていないことを知る。これはなかなかの衝撃だそうだ。たしかにそうだなあと思うのは僕自身が保育園にいるとき、トイレで女の子の股間を見て驚いた記憶が鮮明に記憶されているからである。「ちんちんついてねーじゃん」と。話を戻すと、幼児期には母親を自分のものにしたいという独占欲、もっと言うと母親と一体化したいという願望がある。でも、その願望を叶えると自分のペニスがなくなるのではないかという不安に襲われる。その不安を解消するには、母親との一体化を諦めて、父親を受け入れるしかないという考えに至るそうだ。その考えに至ると豊かで自由な心の構造になっていくそうだ。逆に女の子の「ペニス羨望」は…という風に話は広がっていくわけだ。自分で書いていてあれだけど、意味わからんね。

それでもって、悪名高い「対象α」の解説も読んだんだけど、分かったような分からないような。

もう一回読もうかな、、いやー…。