水溜り日記

日々の記録を。

少し長くなった

小学生の頃、人前で話すのが苦手だった。

そういう性分は大人になっても治らないもので、今も人前で話すのは苦手だ。当然、真逆の人もいる。立候補で学級委員長や生徒会長になる輩が代表格だろう。

僕の中学、高校の同級生の女の子で生徒会長をしていた女の子がいた。人前で話すのが好きらしく、彼女は中学も高校も生徒会長をしていた。全校集会や入学式、卒業式の度に、見事な演説を行っていた彼女を「よくまあ、あんな上手いこと喋れるものだ」と感心していた。今、思っても正気の沙汰とは思えない。

そんな彼女が某N局のキャスターを故郷でやっている。県庁所在地の最寄駅には彼女が写ったポスター(正確に言うと彼女が出演している番組ポスター)が貼られている。帰省する度に、そのポスターをまじまじと見る。同業者としては気になる存在なのだ。

話は飛ぶが、カメラで撮影することと肉眼で見ることの違いは何なのだろうか。肉眼で見る方がより感情が揺さぶられる事も多いはずだ。一方でテレビに限らず映画や写真の一コマで感動した事がある人は多いはずだ。このように、カメラは自分が見た草花や人など、目の前の事象をより鮮やかに美しく撮ることがある。おそらく、僕たちは、普段、現実をそれほど良く見ていないのだ。だからこそ、現実の美しさや、はたまた悲惨さに至るまでを良く見て、切り取るのがカメラであり、それを伝えるのがメディアの役割だと思う。

故郷を出ると故郷の良さや悪さを客観視できるようになる。そこのところを伝えられる仕事をしている彼女を羨ましく思う。まあ、故郷に戻って仕事する気は無いし、そんな需要もないのだが。