買い替え
今使っている、iPhone SEを使って2年が経とうとしている。そろそろ乗り換えの時期だ。
2年前からすでにSEは三世代ほど遅れた型だったけど、サイズが好きでSEにした。新しいものはサイズが大きすぎる気がする。和田アキ子くらい手が大きかったら別だけど、そんなに大きくないし。
もはや一年の恒例行事になったiPhoneの新機種リリース。進化し続けなければならない宿命を負ったiPhoneは、スティーブジョブズのこだわった、シンプルで軽いデザインからは離れつつある。だって新機種に至ってはカメラ3つついてるし。これはもうiPhone博士も大変なのはお察しします。日夜、フラスコを爆発させてせっせこ研究している姿が眼に浮かぶ。…ちょっと違うか。
いつかはiPhoneも終焉を迎えることは確かだが、iPhone20くらいは平気でいくのだろうか。その時にはカメラ10個くらいついているんじゃなかろうか。
まかり間違って透視できるカメラが発売されたりしないだろうか。それは…ダメだわな。
さてどれにしようか。
少し長くなった
小学生の頃、人前で話すのが苦手だった。
そういう性分は大人になっても治らないもので、今も人前で話すのは苦手だ。当然、真逆の人もいる。立候補で学級委員長や生徒会長になる輩が代表格だろう。
僕の中学、高校の同級生の女の子で生徒会長をしていた女の子がいた。人前で話すのが好きらしく、彼女は中学も高校も生徒会長をしていた。全校集会や入学式、卒業式の度に、見事な演説を行っていた彼女を「よくまあ、あんな上手いこと喋れるものだ」と感心していた。今、思っても正気の沙汰とは思えない。
そんな彼女が某N局のキャスターを故郷でやっている。県庁所在地の最寄駅には彼女が写ったポスター(正確に言うと彼女が出演している番組ポスター)が貼られている。帰省する度に、そのポスターをまじまじと見る。同業者としては気になる存在なのだ。
話は飛ぶが、カメラで撮影することと肉眼で見ることの違いは何なのだろうか。肉眼で見る方がより感情が揺さぶられる事も多いはずだ。一方でテレビに限らず映画や写真の一コマで感動した事がある人は多いはずだ。このように、カメラは自分が見た草花や人など、目の前の事象をより鮮やかに美しく撮ることがある。おそらく、僕たちは、普段、現実をそれほど良く見ていないのだ。だからこそ、現実の美しさや、はたまた悲惨さに至るまでを良く見て、切り取るのがカメラであり、それを伝えるのがメディアの役割だと思う。
故郷を出ると故郷の良さや悪さを客観視できるようになる。そこのところを伝えられる仕事をしている彼女を羨ましく思う。まあ、故郷に戻って仕事する気は無いし、そんな需要もないのだが。
夏の終わり
気づけば夏が終わる。
ずいぶん涼しくなった。今週からまた暑さがぶり返すようだが…
そういえば今年は蚊がいなかった。暑過ぎたせいだろうか。都会にいるとヒグラシの鳴き声も聞こえないし、すこし情緒に欠ける。ヒグラシの鳴き声が聞けるのはマジックミラー号くらいだ。あれは少しヒグラシのSEを入れ過ぎじゃないか、と思わないこともないが。
夏と言えば大学生の時から母が揖保乃糸を大量に送ってくれたことが思い出される。貧乏学生をしていた僕は揖保乃糸が命綱だった。揖保乃糸が命綱とはずいぶん頼りない…
そういえば、結局、百貨店で眼鏡を買った。眼鏡を選んでいる最中に気づいたが、眼鏡は値札の価格にプラスしてレンズの値段が必要だ。聞いたら一番安いものでレンズだけで1万8千円かかるそうな。今使ってる眼鏡もかれこれ6年使っているし、仕方がないかと思い眼鏡を購入することにした。
なんだか、普段にましてダラダラ書いちゃったな。